五十里湖の霧氷[2015年01月31日(土)]
いかり娘が逃げました[2015年01月28日(水)]
いかり娘がリードごと逃げて山中に入ってしまいました。全く行方知れずで、リードが絡まって身動きが取れなくなる可能性が大です。心配で、ともかく逃げたと思われる方向に、ダムと一緒に探しに行きました。しかし、全く当てがありません。ただ山をうろうろしてるだけです。
すると、かすかに犬の鳴き声、キャンキャンとかウエーンとか、獣を追っているような声ではなく、助けを求めている声です。これを聞いたダム君は、直ちに方向に向かって捜索開始、何回か鳴く声を追って沢を4か所超えて行きました。4カ所目の沢の上部に、木に絡まって身動きが取れなくなっているいかり娘を発見、直ちに救助しました。いかり娘はよほど怖かったのか、目が虚ろな状態、万一発見できなかったら、あのまま死んでしまったかと思います。それにしても、ダムといかり娘の結びつきはすごいです。あんな小さな声を手掛かりに、居場所を探し当てたダム君のお手柄です。人間は声は聞こえても、あの広い山中では、場所を特定することは困難でした。安心しました。
今は二頭仲良く喧嘩しながら、毎日元気に警備活動をしています。チャンチャン
臨時休業のお知らせ[2015年01月28日(水)]
2月3日(火)~2月6日(金)まで所要のため臨時休業いたします。
お客様には申し訳ありませんが、ご注意いただきたく掲載いたします。
尚、7日からは定期営業いたしますので、引き続きよろしくおねがいいたします。
写真展開催のお知らせ[2015年01月17日(土)]
五十里は今日は小雪模様、警備犬のダムといかり娘も、玄関前で暇そうにしています。
ここ五十里地域も静かで、昨日の夜は鹿が泣いている声も聞き取ることができました。
星は綺麗で、宝石が降ってくるようです。
さてへいじからのお知らせですが、春(5月連休位)~秋(11月末頃)にかけての長い期間になりますが、「五十里・三依ふるさと写真展」を開催するつもりです。
ここ五十里は、江戸時代に日光大地震による葛老山の崩落で、川が堰き止められ、天然のダム湖となり、五十里の住民が避難のため全村移転ということを経験しました。その後の、ダム湖決壊で住民はまた戻ったのですが、今度は終戦後すぐに「五十里ダム」建設という国策にしたがいざるを得ず、二度目の全村移転を経験しました。多くの住民が、宇都宮、今市、那須、茨城など周辺に移転しました。昭和31年にダムは完成し、当時日本一のダムとして、多くの見学者が見えました。
ダム建設発表から移転して約70年、五十里周辺は毎日静かに風景を映していますが、住人は一人減り二人減りして、今五十里で絆を結んでいる人は、5家族・10人程度になってしまいました。この前、移転後の五十里分校跡に行ってみましたが、高台にあり村一番の景観であったろうと思われる場所です。ここで多くの子供たちが学び、巣立ち、職を得、そして結婚し、子供が生まれ、今は孫さんと一緒に幸せに暮らしていると思います。
お盆や彼岸などに、孫さんや息子・娘と一緒にお墓参りにきます。当家で食事をしていく方もあります、当家には横4㍍x縦80㌢程度の大型の「旧五十里宿」の絵図が飾っていますが、これを見てじいちゃんの家はここだとか、学校はここだとか、指を指して家族に説明しています。孫さんも、「じいちゃん、どんな家だったの」とか「何人位住んでたの」とか、聞いています。じいちゃんは一生懸命に説明しています。帰り際、私に旧住人の人が言います。「五十里はそれはそれは、住みやすい良い場所だった」という言葉です。ふるさとを離れて、もはや70年、でも「ふるさとは未だ消えず」です。
今回写真展を開くのは、この離れた住人の方々にもう一度自身のふるさとを再確認してほしい。孫や後継者に、自分のDNAである五十里を忘れないで伝えてほしい、との思いが強くあるからです。五十里地区はもはや限界集落を超えてしまいました。いずれ、数年以内位に集落としての単位にならない時代が来ると思います。この写真展を開催して、観光客の方は、「日本の原風景」移転した方は「ふるさと再確認」をしてください、多くの方々のおいでをお待ちいたしています。
正式な日程は、後便でお知らせします。五十里は今日も静かです。
金花猫大明神のご案内[2015年01月12日(月)]
当家から会津西街道(国道121号)を5㌔位会津よりに走ったところに、独鈷沢という集落があり、その入り口あたりに「金花猫大明神」の碑があります。小さいので、ほとんどの方が見過ごしてしまう碑です。この碑の謂れは、江戸時代までさかのぼります。この会津西街道は、江戸時代参勤交代の主要道として、会津藩が主に利用してきました。因みにこの会津西街道は、会津若松(大町の辻)~日光今市(追分)までの約122㌔を指し、そこからは、例幣使街道、日光街道を経て、江戸日本橋までと続きます。
話は戻って、江戸の時代、会津松平様が参勤交代の道中に起きた話。くだんの地を大名行列が通った時の事。行列を横切る猫がいました。これを見つけた警備の武士が「この無礼者」との一言で猫を切り殺してしまいました。行列は無事江戸に着いたのですが、しばらくして殿様が高熱を出し、江戸の名医も手の施しようがないほどの病気です。思い余って、有名な八卦見にお願いし八卦をかけてもらいました。そしたら、参勤道中に猫を切り殺した祟りであるとのお告げ、早速、独鈷沢の庄屋に申し付けて、碑を建立し丁寧に祭ったそうです。殿様の病気はピタッと治ったそうです((・・?)
それ以来、今に至るまで、殿様も敬服した猫として地域住民の尊崇を集め、今は日本中からペットの健康祈願、長生き祈願、など多くの方がお参りにきます。猫好きの方集合です。
そもそも、「金花猫大明神」このお名前自体、すごいことだと思いませんか。金、花、大明神 おめでたい名前ばかりで新年に相応しいですね。