会津西街道の事[2014年06月22日(日)]
ここは会津西街道五十里宿。江戸から会津藩に向けての藩境になります。とても重要な場所だったのです。五十里宿は、往時は70軒・400人弱の人が住んでいたとのこと。今は往時の隆盛をしのぶよすがもありません。ただ、ここに今住んでる人たちは、6軒10人位しかいないのですが、みんなで氏神様の草取り、お墓の清掃など協力してやってます。限界集落の声ばかり聞こえますが、ここは夜は星、朝は鳥の声、古民家ではクラシック音楽など、みんなで無理せず、気張らず、ゆっくりと、人が自然と一体化する感じです。私の知人もがんの術後を、ここで転地療養しました。鹿や猪がでたり、猿が悪さをしたりしますが、猿たちも生きるのに必死です。人間は、猿の領域を侵してしまっているのでしょう。我が家には、猿たちと対峙させるために、いかり娘とダムの二頭の柴犬が毎日警備巡回(単なる散歩(・・?)しています。動物は動物同士で折り合いをつけている感じです。みなさんも、急がず慌てず、ゆっくりと時をお楽しみください。当家には、会津五十里宿の昭和25年当時の再現絵図を保管しています。ここの大家、細井平治氏が作り上げた、横3.6㍍x縦1㍍の大作です。一度ご覧ください。